こんにちは。日本二胡学院岡山教室のまさみんです。
1月も半ばを過ぎてすっかり平素の生活になられているでしょうか?
私は、昨年末に母を見送り、何かと慌ただしい日々を過ごしています。
今日は母の思い出を少し話させて下さい。
母は戦前生まれで中学生の時に父親と死別したそうです。
父親が存命中はそれなりに生活をしていたそうですが、亡くなってからの暮らし向きは厳しかったそうです。
その中でも、母は謡やお筝を学んだりしていたそうです。(かじった程度?)
でも、私の記憶の中では、母はクラシック音楽に傾倒していました。独学なのか先生に付いていたのか分かりませんが、ピアノ曲も数曲弾いていました。
家にはクラシックレコードも沢山ありました。Beethoven、Chopin、Mozartを始め色々ありましたが、ステレオを手放して暫くしてLPレコードも処分してしまいました。今思えば惜しいことしたかな。
母は亡くなる数年前から私達家族と同居していました。
食事の支度等の家事やペットのお世話もしてくれて随分助けられました。
音には結構うるさくて、私が二胡を習い始めた頃には、0.5度程高い、低い とか色々感想を言ってくるのが煩わしくて母の前では弾かなくなりました。
でも、車中で賽馬がかかった時には、
「あ。この曲は貴女が毎日弾いてる曲よね」と楽しそうに話していました。
賽馬は私の特別な曲になりました。
今でもコースアウトや落馬まで・・・とても満足のいくものではありませんが、この先もずっと練習して、母に届けられればと思います。
これも今思えばですが、人間チューナー(感想付き)してもらってんだからしっかり聴いてもらえば良かった…です。
母は肺炎と熱中症が元で入院する事になったのですが、以前から食がどんどん細くなっていて、結果として低栄養状態だったそうです。
それが元で、多臓器に不調を来たし結果回復出来ないまま旅立ちました。
若干の認知もあり生活が緩慢になっていたのも一つの要因かもしれません。
晩年の母の様子を見て
・趣味を持つこと
・外に出ること
・仲間を持つこと
・バランスのよい食事を適量口から摂ること
・適度な運動を毎日続けること
これらがいかに大切であるか痛感しました。その姿で教えてくれたと思います。
私には二胡が、音楽があるし、教えて下さる先生方、一緒に二胡を学ぶ生徒仲間の方々もおられます。
今後も私の人生の折々の傍らに、二胡が、音楽が在って欲しいです。
私は最後の最後、母を見送る時、懸命に生きることを約束しました。
泉下の母に心配かけない生き方をしたいと思っています。